感想:ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』を岩波ホールで鑑賞 #ユダヤ人の私

ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』岩波ホール

106歳の生ける証言と、世界初公開という当時の記録映像の数々、見入り聴き入りました。

ホロコースト生存者のおひとり、ユダヤ人のマルコ・ファインゴルトさんへのインタビュー映像。

1913年5月28日、当時のオーストリア=ハンガリー二重君主国のハンガリー王国領ノイゾール(現在のスロヴェキアのバンスカー・ビストリツァ)で生まれたマルコ・ファインゴルトさん 。

幼少のころ、ウィーンのレオポルトシャタット地区のユダヤ人街に移り住み、育つ。

幼少のころの家族との記憶、学生時代の思い出。

そして、成人後の数奇な人生。

20歳:1934年ごろから変わり始めたというオーストリアの社会情勢(反ユダヤ主義のナチスの親衛隊が殴り込んできて街のいたるところで喧嘩騒ぎが多発、当時のウィーンの警察は取り締まろうともしない黙認、市民は傍聴)に耐えかねて、オーストリアから兄と共にイタリアにわたり物売りの商売を始める。

24歳:1938年2月20日、パスポートの更新のためにイタリアからオーストリアのウィーンに戻る。

24歳:1938年3月、ドイツ国(ナチス・ドイツ)によるオーストリア進駐が始まる。

1938年3月13日、 ザイス=インクヴァルト(オーストリア首相代行)は、オーストリアのウィーンに迎えたアドルフ・ヒトラーの目の前で法案「ドイツ国とオーストリア共和国の再統合に関する法律」(第1条で「オーストリアはドイツ国の一州である」と定める)を起草して署名を行った

24歳:1938年3月15日、オーストリアのウィーンの英雄広場で、 ドイツ国(ナチス・ドイツ)首相・国家元首(総統) アドルフ・ヒトラー(生まれはオーストリア)の演説を目撃。
経済封鎖によりオーストリアの人々の飢餓と困窮が最もひどかった時に、アドルフ・ヒトラーが奇跡の約束をし、それをオーストリアの人々が鵜呑みにし歓喜している様子に驚愕を受ける。

24歳:1938年4月10日、ユダヤ系住民が除外されたオーストリアでの投票により、99.73%の賛成票で、 ドイツ国(ナチス・ドイツ) =オーストリア併合(アンシュルツ)が決定。
ウィーンにいた18万人のユダヤ人の権利が一夜にして剥奪される。
これにより、オーストリアでも反ユダヤ主義が急速に広まる。

ドイツ国(ナチス・ドイツ)=オーストリア合併からの10日間で1742名のユダヤ人が逮捕され、96名が自殺。

ドイツ国(ナチス・ドイツ) =オーストリア合併で、国境が封鎖され、イタリアに戻れなくなったマルコ・ファインゴルトさんと兄、そして父も、ゲシュタポ(国家秘密警察)により身柄拘束され、留置所で5日間殴られ続ける。
3週間の勾留後、2時間以内にオーストリアを立ち去ることを条件に釈放される。

兄弟はチェコスロバキアのプラハへ行くものの、期限切れパスポート所持でチェロスロバキア当局に逮捕される。
3か月間の拘束後、国外追放処分を受け、兄弟はポーランドに行く。

ポーランドのワルシャワで、偽造IDを作成し、ポーランド人に成りすます。

24歳:1939年2月末、兵役逃れを疑われ、ポーランド軍に召集されそうになり、チェコスロバキアのプラハへ逃亡。

24歳:1939年5月6日、チェコスロバキアのプラハで再逮捕され、プラハの刑務所に収容。

25歳:1939年9月1日、 ドイツ国(ナチス・ドイツ) によるポーランド侵攻、第二次世界大戦勃発

25歳:1939年11月、チェコスロバキアのプラハ刑務所から、ポーランドのクラフク刑務所へ移送収容。

27歳:1941年4月5日~4月25日、ポーランド南部オシフィエンチム郊外のアウシュヴィッツ第一強制収容所(推定110万人から150万人が処刑殺害)に移送収容。

28歳:1941年4月25日~5月30日、 ドイツ国(ナチス・ドイツ) 北部のハンブルク港の南東のエルベ川右岸アルテンガンメ村の北西ドイツ地域最大のノイエンガンメ強制収容所(推定4万2千人以上が処刑殺害)に移送収容 。

28歳:1941年5月30日~6月12日、 ドイツ国(ナチス・ドイツ)南部のミュンヘンの北西約20kmのダッハウ強制収容所(推定3万人以上が処刑殺害)に移送収容 。

28歳~31歳:1941年6月12日~1945年4月11日、 ドイツ国(ナチス・ドイツ) 中部のテューリンゲン地方エッテルベルクの森の丘の麓のブーヘンヴォルト強制収容所(拷問や人体実験や飢餓により推定5万5千人以上が殺害)に移送収容 。

31歳: 1945年4月11日 、米軍による開放で6年間にわたった強制収容生活を終える。

31歳:1945年4月、ブーヘンヴォルト強制収容所に収容されていた28か国のうち27か国はそれぞれの国から迎えが来たが、オーストリアからは、マルコ・ファインゴルトさん含む128名を迎えにくる車は来なかったという。
そのため、自ら3台のバスを手配して、 ドイツ国(ナチス・ドイツ) のブーヘンヴォルト強制収容所から、オーストリアのウィーンに戻ろうとするも、当時のオーストリア臨時政府首相カール・レンナー氏の命令で、ユダヤ人の帰還を拒否される。
オーストリアのウィーンに戻れなかったため、ウィーンから西約300kmのオーストリアのザルツブルグでバスを降りる。
その後、ザルツブルグは、マルコ・ファインゴルトさんの故郷となる。

マルコ・ファインゴルトさんは「レンナー首相はユダヤ人をオーストリアに入れることで、賠償責任を求められることを恐れた。」と語る。

1945年4月27日、カール・レンナー首相によるオーストリア臨時政府が成立。

1945年4月30日、ドイツ国(ナチス・ドイツ)首相・国家元首(総統) アドルフ・ヒトラー、自殺。

1945年5月1日、ドイツ国(ナチス・ドイツ) 国民啓蒙・宣伝相大臣ヨーゼフ・ゲッベルス、自殺。

32歳~33歳:1946年~1947年、オーストリアのザルツブルグでイスラエル文化コミュニティの会長を務める。

戦争で難民となった10万人以上の同胞のユダヤ人を、イタリアを経由してパレスチナに送る人道支援事業を実施。
この事業は本来違法であるが、ユダヤ人のいないオーストリアを目指していた当時のオーストリア政府にとってはむしろ好都合であり、オーストリア政府はこれを黙認した。

34歳~65歳:1948年~1979年、ファッション事業を営む

マルコ・ファインゴルトさんは、第二次世界大戦終戦の1945年から74年間にわたり、ホロコースト(強制収容所)での収容体験、当時のドイツ国(ナチス・ドイツ)の犯罪、加害者としての当時のオーストリア政府への批判、何も変わらない現代と未来への警鐘の語り部として公演活動や人道支援活動を続ける。

105歳:2018年~2019年、ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』撮影。
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』は、 オーストリアで反ユダヤ主義が広まるきっかけとなる瞬間を目撃した人間として、2つの刑務所と4つの強制収容所(ホロコースト)への6年間にわたる収容期間を体験した人間として、戦後も変わらない反ユダヤ主義含む人種差別を体験してきた人間として、マルコ・ファインゴルトさんが晩年の2018年に10日間、2019年に3日間の撮影で合計45時間撮影されたという映像からの1時間54分。

106歳:2019年9月19日、生涯を閉じた マルコ・ファインゴルトさん。

貴重な証言映像。

映画という記録に残った奇跡。

ドイツのドキュメンタリー制作会社 ブラックボックスフィルムと、ドキュメンタリー映画日本の配給会社サニーフィルムと、マルコ・ファインゴルトさん に、そして、本作品を7週間にわたり劇場で上映して下さった岩波ホールに感謝です。

感想です。

心に残ったこと:ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』

マルコ・ファインゴルトさんの体験から描かれる反ユダヤ主義が広まる瞬間

歴史の授業で学んだであろう「1938年4月10日のドイツ国(ナチス・ドイツ) =オーストリア併合(アンシュルツ)」。この時、当時のオーストリアはどのような状況だったのか。 1938年3月15日、オーストリアのウィーンの英雄広場で、 ドイツ国(ナチス・ドイツ)首相・国家元首(総統) アドルフ・ヒトラー(生まれはオーストリア)の演説を目撃したマルコ・ファインゴルトさんの証言は、衝撃でした。

行動を共にしていた二番目の兄エルンストさんとの思い出

兄の晩年まで行動を共にしてきた二番目の兄エルンストさんとの思い出に涙。幼少時、学生時、成人してイタリアで起こしたビジネス、そして、パスポートの更新に5年ぶりにオーストリアのウィーンに戻った時にみた変わり果てた故郷。逃亡生活。刑務所と強制収容所への収容。 マルコ・ファインゴルトさんは、そのすべてを兄エルンストさんと共に体験されています。ノイエンガンメ強制収容所まで一緒だったという兄エルンストさん。その後、ガス室で処刑されたと知ることになる兄エルンストとの思い出を語るマルコ・ファインゴルトさんに涙でした。

世界初公開という当時の記録映像の数々で見せられる当時の狂気

マルコ・ファインゴルトさんへのお話の合間合間に、当時の記録映像やプロパガンダのニュース映像等が映し出されます。 マルコ・ファインゴルトさんが生きた時代の狂気を見せつけられます。

マルコ・ファインゴルトさんへ現代も送られてくる脅迫文

本作はマルコ・ファインゴルトさんへのインタビュー映像です。その合間に、当時の記録映像が差し挟まれる中、マルコ・ファインゴルトさんへ現代にいたっても届く脅迫文が紹介されます。これにより、マルコ・ファインゴルトさんが語り続けている戦中・戦後の反ユダヤ主義等の人種差別は、ただの歴史上の昔話ではなく、現代も地続きで続いている問題なのだと知らしめられます。

劇場パンフレットが素晴らしい解説資料

全36頁。本作のまとめ資料のような1冊。4名の有識者の皆さんの寄稿文も素晴らしい。この時代の背景解説としてとても勉強になりました。映画鑑賞後の復習・解説資料として上質な劇場パンフレットです。

ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』劇場パンフレット 全36頁
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』劇場パンフレット 全36頁
  • 巻頭メッセージ:木崎さと子(作家)
  • 解説
  • 収容された4つの強制収容所
  • マルコ・ファインゴルト~個人史から見る人物像
  • ファインゴルト家の年表
  • 監督ノート&インタビュー
  • プロダクションと監督紹介
  • マルコ・ファインゴルト生前の言葉
  • ヘイトの言葉
  • アーカイヴ映像集
  • ユダヤ人難民の足跡と背景
  • オーストリアの執拗な反ユダヤ主義/三島憲一(大阪大学名誉教授)
  • 『ユダヤ人の私』~生還者の証言と記録映像の交差が描き出すもの/渋谷哲也(ドイツ映画研究者・日本大学文理学部教授)
  • マルコ・ファインゴルトの飢餓体験について/藤原辰史(京都大学人文科学研究所准教授)
  • ユダヤ人の「私」が歩んだ足跡と「私」の歩く未来に~映画『ユダヤ人の私』のプレミア上映会レポート in ザルツブルグ/柳原伸洋(東京女子大学准教授・アウクスブルグ大学客員研究員)

岩波ホール 掲示:ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』

岩波ホール 掲示:ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』
岩波ホール 掲示:ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』 ポスター
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』掲示 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』フライヤー 表面
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』フライヤー 表面
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』フライヤー 裏面
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』フライヤー 裏面
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』入場券 岩波ホール
ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』入場券 岩波ホール

予告編:ドキュメンタリー映画『ユダヤ人の私』

『ユダヤ人の私』予告編 | サニーフィルムチャンネル

『ユダヤ人の私』公開初日挨拶:岩波ホール 支配人 岩波律子さん

『ユダヤ人の私』支配人あいさつ | 岩波ホール【公式】

関連外部リンク

高橋典幸
高橋典幸

1938年4月10日のドイツ国(ナチス・ドイツ) =オーストリア併合(アンシュルツ)の歴史上の狂気。本作鑑賞をきっかけにあらためて思いを馳せる。

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