笠智衆(りゅう ちしゅう)さん。
大好きな俳優さんのおひとりです。
本書はインタビュー書き起こしの文章。
これがとても読んでいて心地よい。
もう、読んでいて、笠智衆さんのお声が聞こえてくるようでした。
私が初めて俳優 笠智衆さんを認識したのは、
映画「男はつらいよ」第1作(1969)での御前様役です。
堅物で朴訥としながらも心優しいお寺の住職さん。
一気に惹かれました。
それから、映画「男はつらいよ」シリーズ全50作を鑑賞しました。
寅さんやさくら、各作のマドンナも楽しみでしたが、毎回のひそかな楽しみは御前様登場のシーンでした。
その後は、
( ※〇 は主役)
「風の中の牝鶏」(1948)
「晩春」(1949) 〇
「カルメン故郷に帰る」(1951)
「お茶漬の味」(1952)
「東京物語」(1953) 〇
「君の名は」(1953)
「君に名は 第二部」(1953)
「君の名は 第三部」(1954)
「二十四の瞳」(1954)
「彼岸花」(1958)
「お早よう」(1959) 〇
「大菩薩峠」(1960)
「秋刀魚の味」(1962) 〇
「赤ひげ」(1965)
「日本のいちばん長い日」(1967)
「砂の器」(1974)
「キネマの天地」(1986)
「夢」(1990)
などなどを鑑賞して、
笠智衆さんを味わっています。
やはり、大好きな俳優さんのおひとりです。
ご出演作品で未鑑賞の作品はまだまだたくさんあるので、
これからも楽しみです。
本書「小津安二郎先生の思い出」は、題名の通り、小津安二郎さんのほとんどの作品に出演された笠智衆さんが、ご自身の俳優人生と小津安二郎さんとの思い出をお話しされたもの。
インタビュー書下ろしの話し言葉での文章。
よかったなあ。
明治37年(1904)にお生まれになり、大正14年(1925)に、平成5年(1993)に、88歳と10か月で世を去った笠智衆さん。
東京での大学生の時に、故郷の熊本時代からの友達の勧めで受験した松竹キネマ・俳優研究所 第一期生募集試験に合格し、10か月の研究所卒業後に、松竹蒲田撮影所の正式社員として入社。俳優としての大部屋生活を10年過ごしている中、小津安二郎監督に見いだされる
その人生の中の60年以上を俳優として活躍された方。
小津安二郎監督作品 第2作「若人の夢」(1928)というサイレント映画から、 小津安二郎監督の遺作となった映画「秋刀魚の味」(1962)までのほとんどの小津安二郎監督作品に出演された笠智衆さん。特に戦後の小津安二郎監督作品には全作出演。
サイレント映画の時代からトーキー映画への昭和の映画史のバイプレイヤー。
生涯の出演作のほとんどが脇役。
ただ、どの監督さんのどのどの作品でも、出演シーンで笠智衆さんが登場すると、どの映画でも嬉しくなります。
絵本「ウォーリーをさがせ!」ならぬ、「笠智衆さんをさがせ!」状態の楽しさ。
時にまったく予期せずに不意に登場されたときには、「笠智衆さんだあ!」と見入ります。
笠智衆さんの遺作となったのは、亡くなる約3か月前に封切られた映画『男はつらいよ 寅次郎の青春』(シリーズ第45作、1992)。
晩年は、癌を患い、鎌倉のご自宅で療養生活を送っていた笠智衆さん。
シーンは、倍賞千恵子さん演じるさくらが、笠智衆さん演じる柴又帝釈天の御前様を訪ねて相談するというもの。
そのシーンは、笠智衆さんのご自宅の縁側で撮影されたとのこと。
いつものひょうひょうとした御前様で短いシーンですが、観ていてしんみり魅入りました
そんな笠智衆さんが、その俳優人生と小津安二郎さんとの思い出をインタビュー形式で語った言葉の書き下ろされた本書「小津安二郎先生の思い出」。
よかったなぁ。